母の重い槍

心が重くしんどいあなたへ

他責ではなく自責という意識

依存傾向のある母親は【他責】の人が多い傾向にあると思う。

 

「あのとき、◯◯が〜と言ったからこうなった」

 

私の母も地方に移住して不満があると私の旦那さんのため、私が地方はレジャーが日帰りでいつでもできるからと言ったからと言われることが多かった。

また、お金が今ないのも「あなたの学費でお金を使い果たしたから」

 

そして、日常の予定や、私たち家族の予定は決めたがるくせに重大なことは決めない。

 

例えば、私たち家族の休日の予定について、「今日はプールに行って帰りに◯◯でご飯を食べてきたら?」

行くところは自分で決めるからと伝えると、「余計なお世話だったね。」と。

旅行も行く日にちを決めてきて、指定された期間休みを取るように言われる。そんなに休めないと伝えると、「せっかくこっちは都合つけて皆で旅行行こうという気持ちになったのに」と。

 

こうゆうことは決めたがるのに、本当に決めてもらいたいことは任せるの一点張りなのだ。

高齢の愛犬の胆管結石オペをするかしないか今日中に決めなきゃならないというとき…選択肢は2点だった。

①最期はとても、痛く辛いがオペをしないでこのまま自宅で過ごす。(現時点で歩けて、むらはあるがご飯は食べれている)

②高齢かつ、腎機能が低下しているため合併症のリスクは高いが一か八かオペにかける。

 

この、獣医さんも正解を出せない選択肢を私にゆだねてきた。何度母に聞いても「あなたに任せる。私には辛すぎて答えはだせない」と。

そんな私を救ってくれたのは主人と当時9歳の娘だった。

 

「オペしたら?」

「最後そんなに痛くて辛いんだからオペしたほうがいいよ!」

 

結果オペ後1週間で術後合併症で愛犬は亡くなってしまった。

 

2人は自分に責任を持って決めてくれたのだ。愛犬を1番見ていたのは私だが、そんな私はその結果を絶対に責めないし、むしろ感謝している。

 

夫と不仲、もしくは離婚しているせいで子供に依存している母親も【他責】なのだろう。

 

仲のいいママ友が、「今年主人のキャリアをやっと超えたのです」と誇らしく言っていた。

「うちの主人はこんな仕事ができて〜」と旦那のキャリアを語る人が多い中、かっこよかった。その人に私の母の話をすると

 

「あなたはどうなんですか??それで疲れないの?」

「自分の何かを見つけないと、娘さんもすぐに手を離れるようになる。そうなった時に自分に何かがないと寂しくなりますよ。」

 

その話を聞いてからずっと心に残っていた。

 

自分ってものをしっかり支えにして生きていかないとならない。責任もあるかもしれないが自分に返ってくるものも大きい。

 

経営者がいい例だと思う。

 

そして、他責の人に人はついてこない。

 

自分でしたことに責任を持つことで周りにも認められて、困ったときに手を差し伸べてくれる人がいるのだと思う。

 

私と主人は同じ職種だが、残念ながらまだまだ主人には敵わない。主人よりも勝てる何かがあるはずと自分を模索中である。