母の重い槍

心が重くしんどいあなたへ

母からの依存

母は幼少期とても一生懸命に育ててくれた。

父は私に勉強を教えるのに思うようにいかないとすぐ激怒し、言っていけないようなことを浴びせることもあった。母はそれを庇ってくれた。

父は自分以外にお金をかけるのが嫌な人で、勉強ができないのに私が進みたい大学の学部にいかせることには反対だった。どうせ現役合格はできない成績だったので、浪人しないとならないためお金がかかる。それを説得して頑張ってくれたのは母だった。

 

そんな母に対して感謝の気持を示さない父は、浪人中の私やそれを支える母を差し置いて出会い系サイトで毎月3万も課金し、相手と会う約束まで取り付けていた。ギリギリのところでバレた父はすぐに家を追い出された。

 

だから、母は決して世間で言う【毒親】ではない。

 

父が家を出て、私もその春には無事に大学に合格した。浪人もしていたので合格が決まったときは母と2人で喜んだ。

その後、私と母の念願である女の子のトイプードルを飼うこととなった。ワンコと泊まれる宿を探して、一緒に連れて回るようになった。そして、母が好きだったアーティストのライブチケットを誕生日にプレゼントして一緒にライブに行くようになった。全国ツアー中は何か所も一緒にまわり、その土地での思い出も作った。大学の長期休暇中は深夜のドライブをしたり、一緒に洋服を選びに行ったりした。そんなに大学時代友達と沢山遊ぶこともなく家にいたので必然的に母との時間が増えた。

 

いや、母との思い出を作りすぎたのかもしれない…

 

就職活動と共に母の依存的発言が増えるようになった。まず、私は当時住んでいる場所から通えない場所も検討していたので、母も一緒に就職場所を決めるようになった。

 

なぜなら、母も一緒についていくつもりだったからである。

 

父とも別居するようになり、私も一人暮らしかもしれないと思うと大きな孤独感を感じたのだろう。

 

私の本心は「一人暮らしをしたい」だった。でもその一言が言える雰囲気ではない。

 

就職先が決まった場所は、住んでいる場所を離れなくてはならない場所だった。そんな母からでた言葉は…

 

「私にはこっちに友達はいる。向こうには気の合う友達もいない。だから社会人1年目は恋愛禁止ね!」

 

その言葉は逆に母から逃げたいという気持ちにさせられた。

 

その後、私と母の地方都市での暮らしが始まるのである。

 

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